委員会活動報告
資料委員会は今
今年度委員会は資料収集を中心に行なわれています。年5回の委員会を予定しており、定例会において委員相互の情報交換を行なう予定です。2005年2月10日の委員会では、今年度収集した希少古書を紹介し、年度予算で今後購入する貴重資料の調査検討が行なわれました。
2004年度8月 図書館資料精査作業
大学図書館に未整理のまま保管されている旧研究所の図書資料を本年も8月夏期休業中に整理する部会がもたれました。昨年に引き続き、5日間の予定で、記録がとられました。こうした調査報告は、いづれ所報などを通して報告致します。
マイクロフィルム関係の調査は8月17日(火)午後、坂田資料研究会の代表を交えて行なわれ、大学図書館の協力を得て、坂田日記のマイクロフィルムの内容をとりあえず確認調査しました。
2)バプテスト関係資料
「東部バプテスト組合総会資料」、「バプテスト讃美歌集」などの、日本のバプテスト関係諸資料ですが、貴重な資料を探し出し、大切に保管できればと願っています。こうした委員会の詳しい活動報告は、ニュースレター、また『所報』に掲載される予定です。
資料委員会内 坂田祐資料特別研究ティーム 開設
資料委員会では、2004年度より、委員会内に坂田祐資料研究会が併設されました。この会は資料委員会とは別に、独自の資料研究作業にあたります。良い成果が期待されています。
3)新年度収集資料について
2005年度も、これまで同様の方針で資料収集が行なわれています。特に、明治期のバプテスト関係文献などで、もし情報をお持ちの方は、是非当委員会へお知らせ下さい。
2006年度 委員会活動報告
川島第二郎先生「N.ブラウンの日本伝道―資料紹介を兼ねて」
矢嶋道文
第1回「N.ブラウンのアッサム伝道について」
(1)父ブラウン(1836−55)と共に7歳までアッサム(現インド北東部地域)に過ごした娘(エリザ・ブラウン)の伝記『全世界の同類』(The Whole World Kin,Fhiladelphia,1890)についても全40章のうち30章程度しか訳されていない。
(2)川島先生が同訳を試みられた結果、アッサム研究(とくに歴史と用語)の困難なことが判明した。(ブラウンは伝道に際してこの点の研究に心血を注いだ。)
(3)アッサム伝道については、アッサム茶(紅茶)の産業発展と密接な関係を持っているということ。
(4)その時のブラウンの功績により、今でも同地ではアッサム語と英語の辞書が併せて用いられている。
第2回「N.ブラウン『志無也久世無志與(しんやくぜんしょ)』、の初版分冊本の刊行実態とアメリカン・バイブル・ユニオン(ABU)との関係」
(1)日本最初の新約聖書(翻訳)とされるN.ブラウン『志無也久世無志與(しんやくぜんしょ)』は、通常、明治12(1879)年とされている。しかし、それは本来2巻本である『幾美恵須幾里須登乃(きみゑすきりすとの)/之無也久志與(しんやくしょ)』の内の第1巻四福音書の刊行日のことで、『志無也久世無志與(しんやくぜんしょ)』という表題の一巻本が刊行されたのは翌明治13年4月はじめのことである。
(2)ブラウン『志無也久世無志與(しんやくぜんしょ)』完成までの翻訳経過を年代的に伝えてくれたのは、小沢三郎『幕末明治耶蘇教史研究』である。しかし、戦前に書かれた同書の時代的、資料的制約から残された課題もあった。
第3回「N.ブラウンの翻訳委員会における役割」
N.ブラウンが「聖書翻訳委員会」に招かれた経緯:
(1)1872(明治5)9月20日、横浜のヘボン宅会堂で開かれた在日伝道会合同「第1回宣教師会議」において、諸教派各1名選出による新約聖書の共同翻訳が議決され、S.R.ブラウン、ヘボン、グリーンの3名が委員に推挙された。
(2)S.R.ブラウンとヘボンはすでに『馬可伝』『約翰伝』『馬太伝』の三福音書を刊行していたが、それは幕末から続けていた欽定訳の方針に従うものであり「公認本文」を定本とするものであった。
(3)これに対し、1870年イギリスで欽定訳聖書の改訳に伴い、S.R.ブラウンとヘボンらの日本での翻訳方針に不満を抱く声があがった。
(4)ここに登場することになったのが、ABSと対立関係にあるバプティスト派のN.ブラウンである。
全3回の講義を通じ、川島先生は関連貴重資料を多数提示されつつ、ブラウン研究が今なお未完成であるとされて、
(1)ブラウンの研究はキリスト教学の領域はもとより、言語・歴史学、民俗・文化史学など多様な側面からも進められるべきであること、
(2)関連聖書を丹念に読むチームを編成し、組織的にブラウン研究に取り組む必要があること、
などを指摘されました。