「いのちを考える」研究プロジェクト
 2007年度の活動内容 

 

 


【2007年度研究計画】

 昨年度までは6名で、活動してきたが、2007年度から、新しく2名の客員研究員 (Dwight P. Davidson氏、小高千恵氏)が加わった。 昨年度までの大豆生田研究員の授業参加をして、学生たちに「いのち」の大切さ を考えさせる研究活動であったが、今年度はそれに加えて、秋学期に外部から講師を 招いてシンポジウムを開催し、松田の工学部後期授業『倫理学』の中で「いのち」の 授業にあてる予定をしている。月に1回研究会活動をして、準備をしていく。


【研究活動】

第1回研究会 4月25日(水)19:00〜20:30
  発題者:松田 和憲所員
  テーマ:神学的視点から見た「いじめ」の残忍性
  討議内容:現在、問題となっている「いじめ」
@力のアンバランスと『創世記』に描かれた神と人間との交わりの放棄。
A「罪」との行動的類似性。
B双方に共通するのは良き関係の破壊と、その要因としてのエゴイズムの存在。
以上のことから子供社会の「いじめ」は、大人社会の「ハラスメント」と重なり合うので、今後の分析が必要である。

第2回研究会 5月23日(水)19:10〜20:30
   発題者:安達 昇客員研究員
   テーマ:「いじめ」に向き合う。
        担当クラスのいじめ事件への対応。
討議内容:
 具体例を掲げて「いじめ」解決への実践活動。
クラスで仲間外れにされている雰囲気の生徒が見受けられたら、アンケートを実施する。
日記を書かせ、生徒たちの気持ちの把握に努力する。
「いじめ」は単なるクラスの現像ではなく、問題の生徒の地域や活動領域(スポーツクラブ等)との入 り組んだ関係に根差していることがわかる。
加害者児童の保護者からの反発もあり、非常に解決困難、複雑な問題でもある。
生徒たちのアンケートは、「いじめ」の存在を具体的に、明確に記述されていて、「いじめ」にあえば、 「先生に相談する」を選択したものが意外に多かった。
状況によって、加害者が被害者に転じると言う複雑な人間関係が解決を益々困難にしている状況ある。
クラスが一年で変わることもあり、問題解決にはらないが、具体的、実践例として、問題提起のきっかけとなった。

第3回研究会 6月20日(水)19:15〜21:00
   発題者:三浦 一郎客員研究員
   テーマ:「いじめ」問題を法律的視点で考える
  討議内容:法的に「いじめ罪」は存在せず、「いじめを理由にした出席停止処分」のうち、いじめが主因であるものは極めて少ない。いじめが傷害罪などに発展したケースでは法的処置が可能だが、あくまでも事後的対処である。いじめ発生自体を食い止める手段は存在しない。規範意識が薄れ、経済第一主義で親による教育能力もなくなっている。「いじめは格好悪い」との意識を子供たちに持たせるしか方法がないのではないか。

第4回研究会 7月18日(水)19:15〜21:00
   発題者: 吹抜 悠子客員研究員
   テーマ:「カンボジアにおける大量虐殺について」
   討議内容: 激動するカンボジアの典型的犠牲者と呼ぶべきリティ・パニュ(映画制作家)、故ニュオン・カン(劇作家)の経験した悲劇、「なぜ自分だけ生き延びたのか」との答のない問いと罪責感、癒されることのない葛藤から彼らの創作は生じている。パニュの作品は日本の映画祭でも発表され、「平和の意味」「ポルポト時代の傷跡」「現在テクノロジーと貧困にあえぐ民衆」などの深刻な諸問題を表現している。発題者はカンボジア留学中にニュオン・カンと知り合っており、経験に基づくカンボジア史の話が啓発的であった。

第5回研究会 8月30日(木) 19:00〜20:30
   テーマ: 秋学期の活動について(大豆生田研究員、松田所員)
  討議内容:人間環境学部の「総合演習」(大豆生田先生の授業)へのゲスト参加、具体的予定。10月10日小高客員研究員、10月17日松田所員、10月24日長井客員研究員
 工学部、松田先生の授業「キリスト教」に、いじめ体験者(須永氏)を招き、話をしていただく。10月29日(月)工学部学生、一般に公開。

第6回研究会 9月26日(水)19:05〜20:40
   発題者:長井 英子客員研究員
    テーマ:「いじめ」延長線上にある強制収容所の虐待
               「極限状況における人間の反応」
  ナチ時代の強制収容所での人々の反応として、自我の価値の低下(主体であることの感情を失う)がある。(V.E.フランクル『夜と霧』より)。著者の支えは妻への愛と信仰。哲学的結論:「我々が人生を問うのではなく、我々自身が問われたものとして体験される」。サデスト的加害者の大半は、平常時には常識的な人々。戦後、加害行為を認めながらも、「命令に従ったにすぎない」と述べる。「本来の自分」と「組織の中の自分」とに一人の人間が分裂する。誰でも、極限状態では残酷な加害者となる可能性がある。
   討議内容: シンポジウム実施、準備打合せ。
※人間環境学部人間発達学科「総合演習」(大豆生田先生)授業にゲスト参加を以下のメンバーで行った。
    10月10日(水) 小高 千恵客員研究員
    10月17日(水)松田 和憲所長
    10月24日(水)長井 英子客員研究員

公開講演会 10月29日(月)16:10〜17:40
    場 所 :関東学院大学 金沢八景キャンパス
         SCCベネットホール
    テーマ:『あの時の気持ちで伝えたいこと』
         I want to tell a feeling of that time
    講演者:須永 祐慈 氏(東京シューレ出版勤務)

第7回研究会 11月14日(水)19:00〜20:35
    発題者:Dwight P.Davidson研究員
    テーマ:いじめに立ち向かうための社会的能力を養う:
             キリスト教共同体主義の見地から
   キリスト教思想に基づき家庭が子供に安定した居場所を与え、自尊心、自己理解、自制、自己責任、正義感、他者への共感を備えさせる場となれば、子供がいじめに対し、大人になっても適切な解決が可能となりうる。(Davidson)が、日本ではキリスト教はむしろマイノリティであり、クリスチャンホームの子供がプレッシャーを受けることが多い。問題のある子供個人にのみ目を向けるのではなく、子供の環境を組織的に見ることが肝要であるのだが、日本では家庭崩壊の傾向が強く、「いじめ」対処の体制が整っていない。
  

第8回研究会 2008年1月16日(水)19:00〜20:30 出席者 4名
テーマ:宗教上の理由で輸血拒否をする自己決定権について
   「エホバの証人」は「血を食べてはならない」との信念を持つ。癌にかかった信者が、医師 に無輸血の手術を頼んでいたにも拘らず、医師は患者の生命を救うために無断で輸血した。 手術は成功したが患者は医師の約束違反を問題として告訴したこれにより「自己決定権」が 注目されたが、「輸血を伴わぬ大手術」は元来可能であるか?一審では「無輸血の手術を依 頼する行為は認めない」としたが、最高裁では「インフォームド、コンセント不充分」で医 師側に責任を認めた。しかし「手術を望む」(生を望む)と、「輸血拒否」(死を受容)とは 相容れず、裁判所判断も万人を納得させられるものではない。ねじれを解消することが出 来ない。エホバの証人が、事故で出血多量になった子供の輸血を拒否し、死に至らせた事例 (親は不起訴)などは、今後どのように判断されるかわからない。例えばこのようなケース で子供が死亡した場合、加害者は「過失傷害」から「過失致死」となり大変不利になる。こ のような事例が「自己決定権」の領域で論じられるには「自己完結」(他人をまき込まない)を要件とするので、本件は「自己決定権」から外れる可能性が大きく、非常に判断の難しいケースとなる。
発題者:三浦 一郎客員研究員


各年度の活動:

2014年度

2013年度

2012年度

2011年度

2010年度

2009年度

2008年度

2006年度

2002年度